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構造医学の手段
2020.07.29
構造医学の手段
本稿は2000年代に、水前寺診療所院長・住岡医師が執筆し、日本構造医学研究所吉田所長に提出された。その経緯は、大学病院の助教授職を辞し1994年に構造医学によるクリニックを開院した住岡氏が、十余年を回顧し総括し、吉田所長の確認を請う意味を込めて書かれたものであり、この度構医ジャーナルに改めて寄稿された。
構造医学は、重力の生物に与える本質に気づき、その観点から生理を目指した医療を包括した自然学体系であり、決して手技だけに特化した医療手法の集大成ではないと思うが、臨床者としては手技に長けているに越したことはない。
ただ、高度な技術を目指せば目指すほど、その習得にはそれなりの理解と十分な訓練が常日頃必要なことは誰でも解ると思う。世界に名高い鋭利な日本刀は、十分な修練を踏まずに使用すると自分まで切ってしまう危険な武器であることは、その道に踏み込んだものにとって常識である。また、楽器の弾き方を習って、すぐに明日からプロとして通用するようには当然ならないことからも、高度な手法は、切磋琢磨せずには得られないことは解ると思う。その上、ヒトには年齢・性別に差があるように、能力や適性にも個人差があり、越えられない向き不向き、レベルの差があるのは普通のことだ。
そんな実態がありながら、医療は相手がヒトであるだけに、差し迫った心情から、あるレベルの正しい処置を求められるものだ。だからこそ臨床者は目の前の患者のために、自分の自信のあることを、きちんと誠意を持ってやるべきであり、ただ聞き知っただけの処置を腕試しを兼ねてやるのは、訴訟社会の到来を迎えた昨今でなくとも極力避けるべきであり、分をわきまえなければ非常に危険な犯罪行為となる。すなわち適性のある者が十分な修練を積んでのち、慎重に行うのが、高度な構造医学整復手技である。
ところで、名声を博した偉大な武道家や芸術家の生涯を振り返れば解るように、本的な個人技に属することは、本人の資質もさることながら、最初に本物に多く接することが非常に大切だと解る。世の中には似て非なるものが実に多い。こんな中で初期に悪い癖が入ると、その修正は自己のプライドや経済的事情も災いして非常に難しい。また、先入観から抜け出すのが非常に困難なように、無意識の価値観が身につくと、それを打ち消して新たな道に進むのは至難の業である。
だからこそ、基本となる修練は本物に接して、言葉で説明できない雰囲気にも十分触れ、何事かを感じることから入るのが常の道だ。そして、はじめはゆっくりと大枠を見ることである。それから少しずつ、実際に体を動かす。見え始めてから、徐々に細部に及ぶのであって、はじめから細かい点を気にする癖をつけると、大勢が見えない人になってしまう。また、整理できていない知識に溢れていると、いざというとき、選択に迷って使えない。どんな高度なことも、的外れでは聞かないし危険ですらあることが多い。だから本当に名人になりたければ、心眼が目に付くまでできるだけ本物に接して、基本に忠実に歩むことである。
自分はそう思って、本物を実行するために熊本に来た。そして開業当初より、構造医学を診療の柱とするために、現代医学の手法は、検査、投薬も含めて必要最小限で臨床を始めた。その時分、指導を受けた手技はシンプルな頭軸圧法だけであり、これこそ本来、構造医学最高の手技だと考えているが、その凄さが実感できたのはかなりの臨床経験を経てからであり、それまでどこがポイントなのか解らず不安であった。けれどもどんな手技でも、ある量・時間をこなさないと一定の質に達しない。高度である場合だと特にそうである。
熊本に来て最初、非荷重をはじめとしたWB(ウェイト・ベアリング)への処置は、見学しているようにとのことだったが、とにかく診療は始まっており、WB整復はWB体操を活用しながら、吉田先生の処置を見続けた。同時に、構造医学的診断を、どうしたら絶対と呼ぶにふさわしい確実な診断とできるのか、構造医学の処置は非常に切れ味良いように思えたからこそ、間違えたら大変だと思って考え続けた。
ただ、目の前に患者さんは来ており、一定の治療水準を保とうとしたときに救われたのが、今にして思えばリダクターだった。ちょうど当時、構造医学研究財団が設立されて、座位診察台が開発され、その導入とともに使い始めた。リダクターの方は、私が熊本に来た時には開発は終わっており、治験を続けていたらしい。当時、自分は構造医学の実際の診療においては初心者だったが、来られた患者さんに対し、それなりの診療成績を上げなければ次の診療には来られないだろうと思い、この導入にためらいはなかった。来院された患者さんはそうそう待ってくれないし、借り入れの支払もある。
ところで、それまでほかの分野では専門医であったにしろ、この道では初心者であるとは診療現場ではなかなか言えない。しかし、個人技が診断とともに、自分の中でやれているとしっくりするまで、その獲得は高度であればあるほどそれなりの時間がかかる。技は知識が入ればできるというものではない。もしそうなら、大抵のものはすぐうまくなっており、その人に本当の技が身に付いたなら、患者さんはほっておいてもやってくる。教える者が本物かどうかは、門をたたく生徒の数ではなく、患者の推移を見ればわかる。話は変わるが、熟練者でも病気や老化、過労で身体に不調を来たし、高度の技をやりづらい時が、長い臨床生活には起こるものだ。こんな時にも、療具の有難さが解ってきた。
ところで、熟達した診療者のところには、名人と言われるようになればなるほど、難しい患者が押し寄せるようになる。現代のような複雑な時代に、多重な障害で、構造診断が非常に難しい患者は結構多い。また、患者の大半を占める高齢者は、その歴年の既往変形から、診断がハッキリしない場合が多いし、その脆弱性から、できるだけ愛護的な処置をしないと、処置によって侵襲を来たさないとも言えないのだ。現代は、患者の権利意識は高い。きちんとした術者が行う、特に高度な処置、それなりに対価を要求するとなれば、余計に大きな間違いは許されないのだ。
自分は最初、リダクターは診療の間を埋めてくれる補助手段ぐらいに考えていたが、ある時期に、すべての患者に一律に処置していたのをやめ、しばらくして様子を見てみた。そこで初めて、その潜在的な大きな効力に気づき、吉田先生が早期からこの製作を試みた意図が解った。 処方は、特に頸椎や胸椎の処方においては、押し付けないよう療具の重さを利用する慎重な配慮がいる。
現在訪れる患者の多くは高齢者であり、特に女性においてはホルモンの関連もあって、歴年の老化の過程で大なり小なり脊椎の変形や、骨粗しょう症といった骨及びその周囲の組織の脆弱化を有しており、首や腰の固まったいわゆる変形性脊椎症の患者さんが、中には脊椎症性脊髄症の併発を見る例も珍しくない。姿勢保持さえ難しい高齢者など、前屈を始めとしたレバーアームの確認さえおいそれとは難しく、かと言って長母指伸筋の検査も、自身の母指力は左右同程度ではないので相当訓練しないと正確な診断は難しいと言わざるを得なかった。そのような変形を伴う患者さんが現実に多く見えており、麻酔科及び外科医であった自分の目から見ると整形の診療方針と、脳外科の診療方針と、麻酔科の診療方針には大きな開きがあり、当初はこの患者の扱いに困惑したことを覚えている。
近年のモーターリゼーション社会で増え続けている。やっかいなのは、まともな治療が確立されていないうえに、ほんの幼少時よりの車移動が日常茶飯事で、歩行をはじめとした身体を動かす基本動作が足りていないため、剪断力外傷歴は思いのほか累積しており、それら多重な外傷歴が診断を迷わすことは珍しくなくなっている。ヒトは、直立二足歩行により進化してきたのだ。鉛直な重力下で身体修復されるよう構造されているのだが、その荷重を受ける時間が非常に減った歩かない現代社会では、微小外傷もそのまま残存していることが多く、このことが診断を難しくしている。構造診断は慣れないと難しいし、早期に正しい診断の元に治癒したとしても、昔の外傷が被害者意識と重なって、患者はなかなか満足しないことが多く、これを以前の問題だとはなかなか説明しにくい。近傍に穏やかに面圧をかけるだけでも、処置としては有効なのだが、それとて正確な診断がいる。こんな時、リダクターは最初と最後のまとめとして使って重宝した。
その多くは、ほとんどの場合頑固な肩こりや首の動きの制限を伴っており、構造医学では、頚部構造由来が極めて多いことを解析できている。頚部を介して頭蓋内の中枢に流入する脳血流が、首の捻れで、4本の血管の流量変化から流体力学的乏血を引き起こして、これらの症状は発生する。この際特に上位頸椎が問題なのだが、この部分の整復処置を診断から安全に行うことは、中枢に直結しているだけに、先ほどの慎重な意識と経験の上、十分な経緯の観察が必要である。これを名人技のみで外来管理するのであれば、吉田先生でも危険な場合が多いだろう。だから、別に、偏頭痛やてんかん、脳卒中といった脳神経内科疾患を見るつもりでなくても、肩こりや腕の痛みを見ているうちに、首の動きを少しでも安全に良くしたいとリダクター処置をしていると、薬の中毒症状が酷くなければ、診ようと意識していなかったこれら重篤と言われる疾患が、比較的簡単に解消される場合があり、隠れた良医の評判を頂いている。
さらに、びっくりしたのは、癌の患者さんに対してリダクターを使用した時である、この典型としては、胆嚢癌の患者さんの腫瘍消失の症例に遭遇し、その効果に驚愕した。胆嚢癌は、外科時代に、何例かお目にかかったが、その手術経過はお世辞にも良いとは言えなかった。ひどい場合が多かった。その消失エピソードは、あまりに驚いたので診療録の中でも紹介したかもしれないが、リダクターの効果を、そこまではと思っていた時代に吉田先生に示唆されて、長期に実行することにした。確か、歯医者さんのお父さんであり。特別に直接購入してもらい、先生のご家族に使用指導して、毎日一時間は実践してもらったところ、半年後には、腫瘍は消失していた。また最近でも腫瘍が見つかった患者さんが、どうも随分古くからあったと想定されるが、自分のところでリダクターをかけた時期が5年以上あり、その間に増殖のエネルギーが抜けているのか、いくら高齢とは言え進行がほとんどないので、家族を通してどんなことをやっていたのか尋ねられたことがある。もちろん全ての癌がこれ単独で消失するとはさすがに言い難い。癌は、無計画で過剰な細胞増殖の結果であり、倍々ゲームで増えていくので、指数関数的な増加であるから、一定の数を超えると、大きさの進展は非常なるものがあり、ほっておくと見る見る大きくなるものだ。しかしリダクターをやっていると、この指数関数的増加を防ぐことができるのか、当初の勢いが削がれているように見える場合がそこそこあるのだ。 確かに癌を患者としての診ることの無い先生は多いかもしれない。しかし自分や、自分の家族、親族が癌にかからないという保障はない。その種の相談は、実際のところ日常茶飯事なのである。現在の男性の3人に2人、女性の半数が癌でなくなると予想されており、癌は非常に身近な病気となって久しい。癌センターを訪れる患者の半数は、ほとんど手遅れで有効な手がないのが実情だ。しかし本当の闘いはそれからなのだが。
構医クリニック新水前寺院長
住岡 輝明 (医師)
京都府立医科大卒。社会保険神戸中央病院外科医、京都府立医科大学麻酔科助手(麻酔指導医)、明治鍼灸大学(当時)附属病院にて助教授などを経て、1994年に熊本市で水前寺診療所を開設。2013年に熊本脳低温療法施設を併設した「構医クリニック新水前寺」に改組し、現代医学と本草湯液と東洋医学の立場から日々診療に取り組んでいる。
▷構医クリニック新水前寺HP